溢れる大正浪漫 はいからさんが通る 劇場版二部作で公開

大正時代は遠い過去なのか

つい先日紹介した「大正処女御伽話」を読み終わって漠然と、「この作品、アニメ化あるのかなぁ」とか「いや、実写化もあり得るのか?」とか考えて悩んでしまいました。

2017/5/8投稿記事【おすすめの漫画 『大正処女御伽話』】

作品の人気や映像化の可能性という話ではなくて、この手の題材を映像化するにあたってどちらがスムーズに受け入れられるのだろうという点で考えたんですよね。ぼくは実写もアニメもどちらも素晴らしい表現だとおもうし、おもしろければどちらもwelcomeです。

しかし非日常を描くにあたっては写真(実写)のような鮮明さではなく、絵(アニメ)の持つ力、いったんデフォルメしてから覗く感覚というんでしょうか、その独特のフィルターを通した世界観ってやっぱりすごい武器なんですよね。非現実ぽさをスムーズに受け入れられるんです。

実写(ドラマでも映画でも)でやろうとすると、その映像の鮮明さで大正時代を再現するのによほど予算をかけて緻密につくらないと、とても陳腐になってしまう気がします。

それに極端な身分の差とか貧富の差から生まれるドラマ性とか、当時はありふれた格差問題も現代では想像しづらい世代が大半になってきているんじゃないかとも感じます。

それをちゃんとした物語に仕上げて、あまり違和感を感じずにスッと視聴者が入り込めるようにする意味でも、時代設定を昔に巻き戻すという仕掛は効果的ですし、今からおよそ100年前の大正時代という設定は、封建的な文化や考えが残りつつ近代化の波が押し寄せ、入り混じり、演出家が腕を振るうには絶好な舞台だとおもいます。

大正浪漫の「浪漫」は夏目漱石がつけた当て字だとされていますが、漱石をはじめとする大勢の文化人を生んだ明治~昭和初期の文学作品は数多く実写映像化や舞台化され、その後も大正浪漫を感じさせる作品の映像化は実写が主流の時代が長く続いていました。

ですが、いつの間にか時代設定が異なる世界観はどんどん非日常な出来事になりつつあり、非日常を違和感なく表現することは、いまやアニメーションが得意とする舞台。それはもうファンタジーやSFの世界と変わらないのかもしれません。

はいからさんが通る

はいからさんが通る 新装版(1) (KCデラックス デザート)
そこで今回は、作品の時代背景的には同じ大正を舞台とする「はいからさんが通る」のお話です。

はいからさんは過去にアニメ化、ドラマ化、映画化のすべてが行われており、劇場版はアニメではなく実写作品でした。

また、原作者の画業50周年記念として今年、新作劇場作品二部作の公開や宝塚歌劇による舞台化が予定されていますので、気になる方は下のリンク先、公式サイトチェックしてみてください。

劇場版アニメーション『はいからさんが通る』公式サイト

過去の作品も浪漫あふれていました

あまり知られていないかもしれませんが、1978年に放送されたはいからさんが通るのテレビアニメ版は、打ち切りのような形で当初の予定より話数が削られてしまっているんですよね。ぼくは繰り返し再放送されていたの何度も見ていましたので、子供心に人気作だとばかりおもっていましたが、ちょっと意外でした。

逆にその9年後に公開された南野陽子主演の劇場版はその年の邦画興行成績で上位に入っています。昭和アイドル全盛期ですので南野陽子人気にあやかった部分もあるでしょうけど、70年代~80年代にかけては大正浪漫のラブロマンスという作風は実写映像化でもじゅうぶん視聴者受けしたということになります。

ですが、現在制作されている最新作は実写でなくアニメーション映画です。もともとが漫画原作ですからアニメーションのほうがしっくりくると言えばそれまでですが、過去の事例から考えると実写で再現という手もあったはずです。

特にラブコメとラブロマンスの間を行ったり来たりするような笑いとシリアスが入り混じった作品なので、いわゆるT層とかF1層と呼ばれる若い女性を狙うなら、実写化もじゅうぶんアリだったんじゃないかとおもったのですが、最近は「君の名は。」みたいな大ヒットもありますもんね。だからアニメーションでやると判断したかはわかりませんが、紅緒と少尉がアニメとしてまたみられるのはやはり嬉しいですね。

花村紅緒と伊集院忍

もしかするとぼくのように過去のテレビアニメ化を見ていた世代は少なくなってきているのでしょうか。なんとなくは知ってはいるけど見たことないって意見が多そうだなぁ。

ぼくもかなり子供の頃にみた作品なのでうろおぼえな部分も多いですが、ヒロインである紅緒のそのお転婆ぶりというか天真爛漫さというか、毎回巻き起こすドタバタ劇とは裏腹に、許嫁となる青年将校の伊集院忍とのラブロマンスはなかり切ない内容になっています。

当時の少女漫画は、はいからさんだけでなくキャンディ・キャンディもそうでしたが、跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘とクールでさわやかな完璧イケメンの恋愛模様、最初は他愛もない嫌がらせを乗り越えて二人の仲が徐々に進展していくのですが、終盤ではとんでもない大きなアクシデントに飲み込まれて離れ離れに・・・いったいどうなっちゃうの? みたいなものが多かった気がします。

いつも無邪気で元気なヒロインが急に弱気でしおらしくなってしまうところが、余計に引き裂かれた二人の切なさを際立たせるんですよね。あの当時から手法としてギャップ萌えはあったということですな。

ぼくはテレビアニメ版のストーリーしか知らないので、それが原作と同じなのか違うのかさえわかりませんが、新しい劇場版でどのような結末が待っているのか、気になります。

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